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SINGLES | 北泉 舞子 | ......素敵なレトリック | ...... |
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作詞:瀬間好孝 作曲:秋友宏之 編曲:入江純 |
この人、何者?自分の知ってる中で最もレアな人。 初代、横浜ドリームランド「ドリ祭」イメージガールとして TV CMで活躍。 紺色の浴衣姿で、うちわで扇いでいた。 デビューは86年。 新大久保の大きな看板は知っている人が多いかも。 自分が大学に通う時に、山手線が新大久保で停車すると いつも目の前に見えたあの看板。 80年代アイドルの本ではタレ幕と書いてあるが 自分の記憶では映画宣伝の絵のような看板だったはず。 その看板には「ビューティフル舞子」って書いてあった。 大学に通ってもしばらくあったから、3年くらいそのままだった。 北泉舞子のおかげで、大学で一番仲良くなる友達ができるとは。 そいつは人文学部だったのに、初めて会ったときに舞子の話。 念のため、そいつはアイドルおたくではない。 |
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話を本人に戻しましょう。 本人のポテンシャルもさることながら、レコード会社はリバスター。セイントフォーを生み出した偉大なレコード会社。 力の入れ様だけは、がんばっている感じがする。 この曲、正式にはイメージ・チェンジ(ビューティフル・レディーになりたくて)≠ニ副題つき。 それで、ビューティフル舞子≠ニ繋がる。きっと、キャッチフレーズだったのであろう。 ファンクラブの名称はMY−フレンド=Bう〜ん、在り来たりの語呂合わせで、かなりがんばっている。 最後に歌、サビの最後の部分はいつも私は あなたのそばで 舞・舞・舞・舞 踊っていたい・・・ 歌詞にまで、舞子を強調している。ただ、竹浩次のマイマイマイとかぶるところがおしい。 曲は、インパクトもなく、なんとなく終わってしまう感じ。弱い。 完全に空回り型のアイドルで、人の心に残っていないはず。 正直に言って、北泉舞子は、大学で1番仲良かった友達と結びつけてくれた、貴重なアイドルであるだけである。 でも今日から、このページがきっと世界で初めて「北泉舞子」を取り扱ったという称号をくれる、記念すべき貴重なアイドルである。 |